脳卒中後の歩行練習というと、平地での歩行やトレッドミル歩行をイメージする方が多いと思います。
しかし、実際の生活では平らな場所だけを歩くわけではありません。
坂道、段差、階段、不整地など、さまざまな環境に対応する能力が必要になります。
では、
「坂道を歩くこと」そのものを脳卒中後の歩行リハビリに利用できるのでしょうか?
結論から言うと、
上り坂歩行は、歩行パターンを変化させるための一つの練習方法として利用できる可能性があります。
特に、麻痺側の股関節や膝関節の屈曲、麻痺側下肢による推進などに影響を与える可能性が報告されています。
ただし、現時点では坂道歩行を継続すれば長期的に歩行能力が改善する、と断定できるほどエビデンスが蓄積しているわけではありません。
ここは重要なポイントです。
脳卒中後の歩行では何が問題になる?
脳卒中後には、
- 麻痺側の足が前に出にくい
- 遊脚期に膝が十分に曲がらない
- 股関節の屈曲が小さい
- 足先が床に引っかかる
- 麻痺側で身体を前へ進める力が弱い
- 歩幅が小さい
- 歩行速度が遅い
- 左右非対称な歩行になる
といった問題がみられることがあります。
そのため、リハビリでは単純に「たくさん歩く」だけではなく、
どのような条件で歩くか
を変えることも重要になります。
その条件設定の一つとして考えられるのが「傾斜」です。
上り坂になると歩き方はどう変わる?
上り坂では、平地より高い位置へ身体を持ち上げながら前進する必要があります。
そのため、
股関節や膝関節をより大きく曲げること
や、
下肢を使って身体を前方・上方へ移動させること
が求められます。
つまり坂道は、
「運動強度を高くするためだけのもの」
ではありません。
歩行時に身体へ要求される運動そのものを変える環境条件
として利用できる可能性があります。
実際に脳卒中患者を対象とした研究がある
2021年には、脳卒中後の片麻痺者15名を対象として、上り坂トレッドミル歩行の影響を調べたパイロット研究が報告されています。
参加者は、
10%の上り勾配を設定したトレッドミルを20分間歩行
しました。
そして、その前後の平地歩行を三次元動作解析によって評価しています。
結果は興味深いものでした。
麻痺側の最大股関節屈曲角度は、
39.8° → 42.7°
麻痺側の最大膝関節屈曲角度は、
39.9° → 43.1°
へ有意に増加しました。
さらに、
- 歩行速度
- その他の時間・距離因子
- 麻痺側の推進
にも有意な増加が認められています。
面白いのは「坂道を歩いている最中」だけではない
この研究で特に興味深いのは、
坂道を歩いている最中の歩行を測定しただけではない
という点です。
20分間の上り坂トレッドミル歩行を終了した後に平地歩行を測定しても、麻痺側股関節・膝関節の屈曲などに変化がみられました。
さらに、その短期的な変化は20分間の休憩後にも維持されていました。
つまり、
上り坂という環境で歩いたことによって生じた歩行パターンの変化が、その直後の平地歩行にも持ち越された
ことになります。
ただし注意したいのは、これは15名を対象とした単回介入のパイロット研究だということです。
数週間・数か月にわたって坂道歩行を続けた結果ではありません。
したがって現時点で言えるのは、
「上り坂歩行には、脳卒中後の歩行パターンを短期的に変化させる可能性がある」
というところまでです。
膝が曲がりにくい人への応用は?
脳卒中後には、遊脚期に麻痺側の膝が十分に曲がらない歩行がみられることがあります。
いわゆる、
stiff-knee gait
です。
膝屈曲が不足すると足先が床から離れにくくなるため、
- 骨盤を持ち上げる
- 麻痺側下肢を外側へ回す
- 非麻痺側でつま先立ちをする
などの代償動作が生じることがあります。
先ほどの研究では、上り坂トレッドミル歩行後に麻痺側膝関節の最大屈曲角度が増加しました。
そのため臨床的には、
遊脚期の膝屈曲が不足している症例に対して、傾斜を利用する
という考え方はできます。
ただし、
「stiff-knee gaitに対して坂道歩行が治療として有効である」と証明されたわけではありません。
ここは分けて考える必要があります。
あくまで、
「膝を曲げてください」
と口頭で指示するだけではなく、
膝や股関節の屈曲が必要になる環境を利用する
という臨床的な応用です。
麻痺側の「推進」にも影響する可能性
脳卒中後の歩行では、麻痺側下肢で身体を前方へ進める力が低下することがあります。
その結果、非麻痺側への依存が強くなり、左右非対称な歩行につながることがあります。
2021年の研究では、上り坂トレッドミル歩行後に麻痺側の推進も有意に増加しました。
これは、
「麻痺側で強く蹴ってください」
と意識させるだけではなく、
環境側から歩行への要求を変える
というリハビリの考え方につながります。
ただし、これも単回介入後の変化です。
坂道歩行を繰り返すことで長期的に麻痺側推進力が改善するかどうかについては、さらなる研究が必要です。
トレッドミル歩行そのものには比較的多くの研究がある
ここからは「坂道」に限定した話ではありません。
一般的なトレッドミル歩行については、脳卒中リハビリの中で比較的多く研究されています。
2025年に発表されたシステマティックレビュー・メタ解析では、59研究が解析対象となりました。
その結果、トレッドミル訓練によって、
歩行速度:SMD 0.255
歩行持久力:SMD 0.277
と、有意な改善が認められています。
一方で研究間のばらつきもあり、出版バイアスも指摘されています。
したがって、
「トレッドミルに乗れば誰でも同じように改善する」
という単純な話ではありません。
ただ歩くだけではなく「難易度」も重要かもしれない
2023年のシステマティックレビュー・メタ解析では、脳卒中後のトレッドミル訓練における、
- challenge(課題の難しさ)
- amount(練習量)
- dosage(challenge × amount)
と歩行能力の改善との関係が検討されています。
26研究を解析した結果、比較する介入とのchallengeやdosageの差が大きいほど、歩行持久力に対する効果が大きい傾向が認められました。
ただし、歩行速度についてはchallengeやdosageとの明確な関連は認められていません。
また、エビデンスの確実性は低~中等度です。
つまり、
単に歩行練習を繰り返すだけでなく、その人にとって適切な難易度を設定することが重要である可能性
があります。
傾斜をつけることも、臨床では難易度を変化させる一つの方法として考えられます。
ただし、このレビューは「坂道歩行の効果」を直接証明したものではない点には注意が必要です。
では実際のリハビリでどう使う?
重要なのは、
「坂道が良いから坂道を歩く」
ではありません。
歩行分析を行った上で、目的を決めて使うことです。
例えば、
麻痺側の股関節・膝関節屈曲が小さい
→ 上り坂という環境によって、通常より大きな下肢屈曲を要求してみる。
麻痺側の推進が弱い
→ 傾斜によって、身体を前方・上方へ移動させる要求を高める。
平地は歩けるが屋外歩行が不安定
→ 将来的な生活場面を想定し、傾斜への適応そのものを練習する。
このように、
「何を変えるために坂道を使うのか」
を明確にすることが重要です。
坂道ならどんどん歩けばいいわけではない
当然ですが、坂道歩行はすべての脳卒中患者に適しているわけではありません。
特に、
- バランス能力が低い
- 膝折れがみられる
- 足部の引っかかりが強い
- 重度の感覚障害がある
- 疲労によって歩行が大きく崩れる
- 心肺機能への負荷に注意が必要
といったケースでは慎重な判断が必要です。
また、研究で使用されたのは管理された環境でのトレッドミル上り坂歩行です。
屋外の坂道とは条件が異なります。
実際の屋外では、
- 路面の凹凸
- 坂の角度の変化
- 天候
- 人や自転車
- 下り坂
なども加わります。
特に下り坂は、身体が前方へ進むのを制御する能力が必要になるため、上り坂とは別の課題です。
上り坂の研究結果を、そのまま下り坂に当てはめることはできません。
まとめ
上り坂歩行は、脳卒中後の歩行リハビリに利用できる可能性があります。
小規模なパイロット研究では、10%傾斜のトレッドミルを20分歩行した後に、
- 麻痺側股関節屈曲の増加
- 麻痺側膝関節屈曲の増加
- 歩行速度の増加
- 麻痺側推進の増加
などの短期的な変化が報告されています。
一方で、
坂道歩行を長期間行うことで、平地歩行能力がどの程度改善するのかについては、まだ十分なエビデンスがありません。
したがって現時点では、
「坂道歩行は脳卒中後の歩行を改善する万能な方法」
と考えるのではなく、
「目的とする歩行動作を引き出すために、環境条件を変える方法の一つ」
として捉えるのが適切でしょう。
リハビリでは筋力を鍛えることだけが治療ではありません。
坂道、速度、段差、支持物など、環境を変えることで身体に求められる動きを変える。
歩行を変えるために、
「身体そのもの」だけではなく、
「歩く環境」を操作する。
坂道歩行は、そんな歩行リハビリの考え方を示す面白い方法の一つです。


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