はじめに
肩のリハビリテーションでは、昔から肩甲骨が重要視されてきました。
肩が痛い患者さんを後ろから観察して、
- 肩甲骨が外側に開いている
- 左右で高さが違う
- 腕を上げると肩甲骨の内側が浮いてくる
- 上方回旋が少ない
- 挙上時の動きがぎこちない
といった所見から、
「肩甲骨の位置や動きが悪いから肩が痛い」
と説明されることがあります。
そして、
肩甲骨の位置を修正する
↓
正常な肩甲骨運動を取り戻す
↓
肩周囲への負荷が適正化する
↓
肩痛が改善する
という考え方に基づいて、前鋸筋や僧帽筋のトレーニング、姿勢修正、肩甲骨の運動練習などが行われてきました。
しかし近年、この考え方は少しずつ見直されています。
特に重要なのは、
「そもそも“正しい肩甲骨の位置・動き”は一つに決められるのか?」
という問題です。
最近の研究では、肩が痛くない人でも肩甲骨の位置や運動には大きな個人差があり、Scapular Dyskinesisと肩痛との関係も、単純な「原因と結果」では説明できないことが分かってきています。
今回は、Scapular Dyskinesis、Motor Control、Movement Variabilityという3つの視点から、肩甲骨をどこまで「矯正」する必要があるのかを考えていきます。
Scapular Dyskinesisとは?
肩甲骨の位置や運動の変化を表す言葉として、
Scapular Dyskinesis(スキャプラ・ディスキネシス)
があります。
日本語では「肩甲骨運動異常」や「肩甲骨運動障害」などと訳されます。
例えば、
- 肩甲骨内側縁の突出
- 肩甲骨の左右差
- 翼状化
- 上方回旋量の違い
- 前傾・後傾の違い
- 挙上・下降時の運動パターンの違い
などが含まれます。
ただし重要なのは、
Scapular Dyskinesisは、それ自体が病名ではない
ということです。
肩甲骨の動きが一般的なパターンと異なっていることを示す所見であり、それだけで「異常」「障害」「痛みの原因」と判断することはできません。
無症状者でも約半数にScapular Dyskinesisがみられる
この問題を考えるうえで重要なのが、2023年のシステマティックレビューです。
34研究、計2,365人を対象に、肩症状のある人とない人でScapular Dyskinesisがどの程度みられるのかが検討されました。
その結果、
肩症状あり:約60%
に対して、
肩症状なし:約48%
にもScapular Dyskinesisが認められました。
つまり、肩が痛くない人でも、約2人に1人がScapular Dyskinesisと判定されていたことになります。
この結果から分かるのは、
「肩甲骨の動きが一般的なパターンと違う」ことと「肩が痛い」ことは同義ではない
ということです。
したがって、
左右差がある
=
異常である
=
痛みの原因である
という単純な三段論法は成立しません。
一方で、このレビューではScapular Dyskinesisの評価方法が研究ごとに異なっており、そこには一定の限界もあります。
では、肩甲骨の動きは肩痛と関係ないのか?
ここで、
「無症状者にも多いなら、肩甲骨は関係ない」
と結論づけるのも適切ではありません。
2018年のシステマティックレビュー・メタ解析では、無症状のアスリートを追跡した結果、Scapular Dyskinesisがある人では、その後に肩痛を発症するリスクが高い可能性が示されました。
報告されたリスク比は、
RR=1.43
でした。
つまり、Scapular Dyskinesisがあるアスリートでは、肩痛発症リスクが約43%高いという結果です。
これだけを見ると、
「Scapular Dyskinesisは肩痛のリスク因子なのではないか」
と考えたくなります。
しかし、その後の研究では結果が一致していません。
2021年のメタ解析では明確な関連は認められなかった
2021年のシステマティックレビュー・メタ解析では、7研究、923人のアスリートが対象となりました。
その結果、Scapular Dyskinesisと将来の肩障害との関連は、
RR=1.07
95%CI:0.85〜1.34
で、統計学的に有意ではありませんでした。
つまり、
Scapular Dyskinesisがあるだけで、将来肩を痛めるとは言えない
ということです。
2018年のレビューではリスク上昇が示され、2021年のレビューでは明確な関連が確認されなかった。
したがって現時点では、
「Scapular Dyskinesisは肩痛の原因である」
とも、
「まったく関係ない」
とも断定しない方が妥当です。
少なくとも、肩甲骨の位置や動きだけを単独の原因として扱う根拠は十分ではありません。
2025年の研究が示した「正常な肩甲骨運動」の難しさ
さらに重要なのが、2025年に発表されたシステマティックレビュー・メタ解析です。
この研究では、腱板関連肩痛(Rotator Cuff-Related Shoulder Pain:RCRSP)の人と無症状者における肩甲骨の3次元運動が検討されました。
その結果、無症状者の時点ですでに肩甲骨運動には大きな
Variability(バリアビリティ)=個人差・ばらつき
が存在していました。
また、
「肩甲上腕リズムが全可動域を通じて一定の2:1である」
という古典的モデルは支持されず、
挙上初期には肩甲骨がほとんど動かない
とするいわゆるsetting phaseについても、その存在を明確に支持する結果は得られませんでした。
重要なのは、
「2:1という数字が完全に間違っている」という意味ではない
ことです。
実際には肩甲上腕リズムはある程度3:1前後の値を示すことがあります。
しかし、
全員が、全可動域を通して、常に同じ2:1の比率で動く
というほど単純ではない、ということです。
また、RCRSP患者と無症状者の肩甲骨運動に差を認めた研究もありますが、そのエビデンスの確実性は非常に低いと評価されています。
「正常な肩甲骨運動」は一つではない可能性がある
ここで重要になるのが、
Movement Variability(ムーブメント・バリアビリティ)
という考え方です。
日本語では、
運動の多様性
あるいは
運動のばらつき
と表現できます。
人間は腕を上げるたびに、肩甲骨、上腕骨、鎖骨、胸郭、体幹を毎回まったく同じように動かしているわけではありません。
課題や負荷、速度、疲労、姿勢などに応じて、少しずつ異なる運動戦略を選択しています。
つまり、
動きが毎回少し違う=悪い
とは限りません。
むしろ、状況に応じて運動戦略を変えられること自体が、身体の適応能力の一つとも考えられます。
そのため、
「正常な肩甲骨運動はこれ一つ」
と固定的に考えることには慎重さが必要です。
ただし、
正常な運動パターンがまったく存在しない
という意味でもありません。
重要なのは、健常者の中にも一定の幅が存在し、その範囲内の違いをすぐに病的と判断しないことです。
Motor Controlとは?
もう一つ重要なのが、
Motor Control(モーターコントロール)=運動制御
です。
簡単に言えば、
神経系が感覚情報を利用しながら、目的に応じて筋活動と身体運動を調整する仕組み
です。
肩を挙上するときには、
- 腱板
- 三角筋
- 前鋸筋
- 僧帽筋
- 菱形筋
- 胸郭周囲筋
など、多くの筋肉が協調して働きます。
さらに、肩甲骨だけではなく、上腕骨、鎖骨、胸郭、体幹も関与します。
そのためリハビリの目的を、
「肩甲骨をある特定の位置に固定すること」
だけにすると、実際の人間の運動を単純化しすぎる可能性があります。
むしろ、
「その人が必要な課題に応じて、複数の運動戦略を選択できるようにする」
という考え方の方が、Motor Controlの視点では自然です。
では、肩甲骨エクササイズは意味がないのか?
ここは非常に重要です。
そんなことはありません。
「肩甲骨を正しい位置に戻す必要がある」という理論に疑問があることと、
肩甲骨周囲筋をトレーニングする意味がない
ことは全く別の話です。
2024年のシステマティックレビュー・メタ解析では、肩痛患者に対する肩甲骨をターゲットとした運動療法が検討されました。
その結果、肩機能については、
SMD=0.52
95%CI:0.05〜0.99
と改善が示されました。
一方、疼痛については、
SMD=0.32
95%CI:−0.09〜0.73
で、他の介入より明確に優れているとは確認されませんでした。
また、肩機能の解析には研究間のばらつきも大きく、
「肩甲骨エクササイズは機能改善に役立つ可能性がある」
程度に捉えるのが妥当です。
「肩甲骨エクササイズが効く」と「肩甲骨を矯正したから効く」は別問題
ここには非常に重要なポイントがあります。
2024年のレビューでは、肩甲骨エクササイズの効果を検討した研究のうち、肩甲骨の3次元運動そのものをアウトカムとして評価した研究はごく限られていました。
つまり、
前鋸筋や僧帽筋をトレーニングした
↓
肩機能が改善した
という結果があったとしても、
肩甲骨の位置が正常化した
↓
その結果として肩機能が改善した
というメカニズムまで証明されたわけではありません。
ここは非常に重要です。
肩甲骨エクササイズによる改善には、
- 筋力向上
- 筋持久力向上
- 運動制御の変化
- 負荷耐性の向上
- 動作への慣れ
- 疼痛処理の変化
- 自己効力感の向上
など、複数の要因が関与している可能性があります。
「肩甲骨の位置を直す」から「肩の能力を高める」へ
ここまでの研究を整理すると、肩甲骨の評価を捨てる必要はありません。
Scapular Dyskinesisが症状や機能に関係している患者もいるでしょう。
しかし、
肩甲骨が左右非対称だから異常
上方回旋が少ないから痛い
肩甲骨を正しい位置に戻せば治る
といった説明には慎重になる必要があります。
むしろ臨床では、
- 肩甲骨運動を変えると実際に症状が変化するのか
- 筋力や筋持久力は十分なのか
- 仕事やスポーツに必要な負荷に耐えられるのか
- どの動作で症状が出るのか
- 症状の出る動き方以外の戦略を選択できるのか
といった情報と組み合わせて評価する方が有用です。
肩甲骨は「正しい位置」に戻すべきなのか?
現在の研究から最も妥当な答えは、
「すべての患者を一つの“正しい肩甲骨位置”へ戻す必要がある、とは言えない」
です。
無症状者でもScapular Dyskinesisは高頻度に認められます。
肩甲骨運動には大きな個人差があります。
さらに、Scapular Dyskinesisが将来の肩痛の独立したリスク因子なのかについても、研究結果は一致していません。
一方で、肩甲骨をターゲットとした運動療法には、肩機能を改善する可能性があります。
したがって重要なのは、
肩甲骨の見た目を「正常化」すること
ではなく、
「その人が必要な動作や負荷に対応できる肩甲帯機能を獲得すること」
と考えた方が妥当でしょう。
まとめ
Scapular Dyskinesisは肩痛患者でよくみられます。
しかし、無症状者でも約半数に認められるため、
Scapular Dyskinesisだけで病的所見とは判断できません。
また、Scapular Dyskinesisが将来の肩痛や肩障害のリスクになるかについては、研究結果が一致していません。
2025年のシステマティックレビューでは、無症状者でも肩甲骨運動に大きなvariabilityがあり、肩甲上腕リズムを常に一定の比率で捉える古典的モデルにも疑問が示されています。
一方、肩甲骨をターゲットとした運動療法には、肩機能を改善する可能性があります。
しかし、
肩甲骨エクササイズが有効
ということと、
肩甲骨を正しい位置に矯正したから有効
ということは同じではありません。
現在のエビデンスを踏まえると、
「肩甲骨の位置が悪いから肩が痛い」
と単純化するのではなく、
肩甲骨運動を、肩痛を構成する可能性のある一要素として評価する
という考え方が妥当です。
リハビリの目的も、
「正しい肩甲骨を作る」
ではなく、
「患者が必要とする動作に適応できる肩を作る」
こと。
肩甲骨を無視する必要はありません。
しかし、
肩甲骨を「唯一の犯人」にもしない。
このくらいの距離感が、現在のエビデンスには最も合っていると考えられます。
主な参考文献
- Salamh PA, et al. Is it Time to Normalize Scapular Dyskinesis? The Incidence of Scapular Dyskinesis in Those With and Without Symptoms: a Systematic Review of the Literature. Int J Sports Phys Ther. 2023.
- Hickey D, et al. Scapular dyskinesis increases the risk of future shoulder pain by 43% in asymptomatic athletes: a systematic review and meta-analysis. Br J Sports Med. 2018.
- Hogan C, et al. Scapular Dyskinesis Is Not an Isolated Risk Factor for Shoulder Injury in Athletes: A Systematic Review and Meta-analysis. Am J Sports Med. 2021.
- Melo ASC, et al. Effectiveness of specific scapular therapeutic exercises in patients with shoulder pain: a systematic review with meta-analysis. 2024.
- Fernández-Matías R, et al. Scapular kinematics variability in individuals with and without rotator cuff-related shoulder pain: A systematic review with multilevel meta-regression. Braz J Phys Ther. 2025;29(6):101261.


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