股関節を動かしたときに、
「コキッ」
「パキッ」
「引っ掛かってから外れる」
といった感覚が生じることがある。
これが一般にスナッピングヒップ(snapping hip/弾発股)と呼ばれる現象である。
臨床では「腸腰筋が硬いから鳴っている」と説明されることもあるが、実際のメカニズムはそれほど単純ではない。
特に鼠径部で生じる内側型スナッピングヒップでは、腸腰筋腱が股関節運動に伴って移動し、周囲の骨・筋・関節包などとの位置関係が変化することが重要になる。
そして、最初に押さえておきたいのが、
「音が鳴ること」と「痛みがあること」は別問題
という点である。
1.スナッピングヒップには3つのタイプがある
スナッピングヒップは、大きく3つに分類される。
① 内側型(Internal snapping hip)
主に腸腰筋腱が関与する。
鼠径部前方〜深部で「コキッ」という感覚が生じやすい。
② 外側型(External snapping hip)
主に腸脛靱帯や大殿筋前方線維が大転子上を移動することで生じる。
股関節外側で弾発を感じ、体表から動きを確認できる場合もある。
③ 関節内型(Intra-articular snapping)
関節唇損傷、遊離体、軟骨・骨軟骨病変など股関節内部の病変によって、クリックや引っ掛かり感が生じる。
このうち、今回詳しく取り上げるのは内側型スナッピングヒップである。
鼠径部痛との鑑別を考えるうえでも重要となる。
2.スナッピングヒップは珍しい? ― 疫学
スナッピングヒップは、決して珍しい現象ではない。
一般人口では約5〜10%にみられるとされているが、重要なのは、そのすべてが痛みを伴うわけではないという点である。
むしろ、音や弾発感があっても疼痛や機能障害を伴わないケースは少なくない。
一方で、股関節を大きく、繰り返し動かす競技ではスナッピングの頻度が高くなる。
特に興味深いのがバレエダンサーである。
エリートバレエダンサー87人を対象とした研究では、
91%が股関節のスナッピングを経験し、
80%が両側性、
58%がスナッピングに伴う疼痛を経験していた
と報告されている。
つまり、股関節を繰り返し大きな可動域で使用する人では、スナッピングそのものはかなり一般的な現象と考えられる。
ここから分かる重要なことがある。
「音が鳴る=病的」ではない。
臨床で問題にすべきなのは音そのものではなく、
そのスナッピングが疼痛や機能障害と関連しているのか
という点である。
3.では、腸腰筋腱は何に引っ掛かっているのか?
従来、内側型スナッピングヒップは、
腸腰筋腱が腸恥隆起(iliopectineal eminence)などの骨性隆起を乗り越えることで発生する
と説明されてきた。
これは現在でも重要なメカニズムの一つである。
腸腰筋腱は、大腰筋・腸骨筋から構成される腸腰筋の遠位に形成され、小転子方向へ走行する。
その途中には、
- 腸恥隆起
- 大腿骨頭
- 股関節前方関節包
- 腸骨筋
- 腸腰筋滑液包
などが存在する。
つまり腸腰筋腱は、股関節前面にある複数の構造と位置関係を変えながら滑走している。
そのため、
「腱が骨を一回乗り越えて音が鳴る」
だけでは説明できない症例も存在する。
4.腸腰筋腱は股関節運動でどう動く?
内側型スナッピングヒップを理解するうえで重要なのが、動的超音波(dynamic ultrasonography)による観察である。
例えば股関節を、
屈曲+外転+外旋
した状態から、
伸展+内転+内旋方向
へ戻していく。
このとき腸腰筋腱は、股関節前面で周囲組織との位置関係を変えながら移動する。
正常では比較的滑らかに移動するが、内側型スナッピングヒップでは、その途中で腸腰筋腱が急激な位置変化を起こすことが動的超音波で観察されている。
この急激な移動が、
「コキッ」
という弾発感として認識される。
つまりスナッピングヒップは、単なる「音」の問題ではなく、動作中に生じる腱の動的現象として考える必要がある。
5.実は「腸骨筋」も関係している
さらに興味深いのは、スナッピングが単純な
腱 vs 骨
だけで起こっているとは限らないことである。
動的超音波を用いた研究では、股関節運動に伴って腸腰筋腱が移動する際、腸骨筋の一部が腱と骨との間に入り込むような動態が観察されている。
腸腰筋腱が移動する過程で腸骨筋の一部が巻き込まれるように位置関係が変化し、その後、腸骨筋が外側へ移動すると、腸腰筋腱が急激に元の位置へ戻る。
この急激な移動が、スナッピング発生の一つのメカニズムとして考えられている。
つまり内側型スナッピングヒップは、
「硬くなった腸腰筋腱が骨に擦れている」
だけでは説明できない。
腱・筋・骨の動的な位置関係そのものを見る必要がある。
6.なぜ「鳴る人」と「鳴らない人」がいるのか?
ここはまだ完全には解明されていない。
考えられている要因には、
- 腸腰筋腱の走行
- 腱の形態
- 股関節の骨形態
- 大腿骨の回旋形態
- 股関節運動時の腱の移動
- 腸腰筋周囲の炎症
- 関節内病変
- 解剖学的バリエーション
などがある。
例えば、腸腰筋腱が複数の腱束として存在するbifid iliopsoas tendon(二分腸腰筋腱)などの解剖学的バリエーションも報告されている。
また、骨盤や大腿骨の形態によって、腸腰筋腱と周囲組織との位置関係が変化する可能性もある。
したがって、
「腸腰筋が硬い人=スナッピングする」
という単純な関係ではない。
7.音が鳴る=治療が必要?
ここは非常に重要である。
答えはNOである。
先ほどの疫学でも示したように、スナッピングヒップは疼痛を伴わないことも多い。
股関節を動かすと音は鳴るものの、
- 痛くない
- 日常生活に支障がない
- スポーツにも問題がない
のであれば、音が鳴るという理由だけで必ずしも治療対象にする必要はない。
治療対象として重要になるのは、
Painful snapping hip
すなわち、弾発と疼痛・機能障害が関連している症例である。
したがって、
「音を消すこと」=治療目標
とは限らない。
8.では、なぜスナッピングが痛くなるのか?
腸腰筋腱のスナッピングが繰り返されると、周囲組織へ機械的負荷が加わる可能性がある。
特に関連を考える必要があるのが、
腸腰筋腱
+
腸腰筋滑液包
である。
腸腰筋滑液包は腸腰筋腱と股関節前面の間に存在し、腱の滑走を助ける。
そのため、腱周囲に炎症や滑液包炎が存在する場合には、スナッピングに伴って鼠径部痛が出現する可能性がある。
一方で、
「スナッピングが起きた
↓
滑液包炎になった
↓
痛くなった」
という一方向の因果関係がすべての症例で成立するわけではない。
腸腰筋腱症、滑液包炎、股関節内病変などが併存している可能性も考える必要がある。
9.関節唇損傷との鑑別も重要
鼠径部で「コキッ」と鳴るからといって、すべて腸腰筋由来とは限らない。
股関節内部でも、
- 関節唇損傷
- 遊離体
- 軟骨・骨軟骨病変
などによってクリック、キャッチング、ロッキングが生じることがある。
さらに、内側型スナッピングヒップと関節内病変が併存する可能性もある。
したがって、
「音が鳴る
↓
腸腰筋
↓
腸腰筋を治療する」
という一直線の臨床推論は避けるべきである。
鼠径部痛、クリック、引っ掛かり感などを認める場合には、関節内病変を含めて評価する必要がある。
10.なぜ動的超音波が有用なのか?
通常のMRIやX線は、基本的に静止した状態の画像である。
しかしスナッピングヒップは、
「動いたときに起こる現象」
である。
そこで有用になるのが動的超音波である。
患者に実際に股関節を動かしてもらいながら観察することで、
腸腰筋腱がどのように移動し、どの瞬間にスナッピングが生じているのか
をリアルタイムで評価できる。
これはスナッピングヒップを、
「どこが硬いのか」
ではなく、
「どの組織が、どの動作で、どう動いているのか」
という視点で理解するうえで非常に有用である。
11.臨床では何を見る?
スナッピングヒップを評価するときに重要なのは、音の有無だけではない。
① どこで鳴るのか
鼠径部なのか、大転子周囲なのか、股関節深部なのか。
② どの動作で鳴るのか
股関節屈曲から伸展するときなのか、回旋を加えたときなのか。
③ 音と痛みが一致しているのか
音は鳴るが痛くないのか。
それとも、スナップした瞬間に普段の鼠径部痛が再現されるのか。
④ 他の股関節所見はないか
股関節可動域やFADIRなどの身体所見を確認し、関節内病変の可能性も考える。
⑤ 日常生活で何が問題なのか
歩行、階段、立ち上がり、スポーツなど、実際の活動との関連を確認する。
つまり、
「スナップを消すこと」自体を治療目標にするのではなく、疼痛や機能障害との関連を評価する
ことが重要である。
12.「腸腰筋を緩めればいい」は少し危険
スナッピングヒップを見ると、
「腸腰筋が硬い
↓
ストレッチ
↓
マッサージ
↓
鍼」
と考えたくなる。
しかし、ここまで見てきたように、スナッピングには腱の走行、解剖学的バリエーション、骨形態、股関節運動、周囲組織など複数の要因が関与する。
したがって、
「硬いから緩める」だけでは病態を十分に説明できない。
必要なのは、
- どの動作でスナップするのか
- その動作で疼痛が生じるのか
- 股関節可動域
- 股関節周囲筋の機能
- 骨盤・股関節の運動
- 活動量
- 関節内病変の可能性
などを評価し、その症例で症状に関与している要因を考えることである。
13.鍼灸では何を考える?
疼痛を伴うスナッピングヒップに鍼灸を行う場合も、
「腸腰筋腱が鳴っているから腸腰筋へ深く刺す」
という発想には注意が必要である。
腸腰筋周辺には大腿神経・大腿動静脈など重要な構造が存在し、深部への刺鍼では安全性への十分な配慮が必要になる。
また、スナッピングという機械的現象そのものが、局所への刺鍼だけで解消するとは限らない。
疼痛の調整を目的として鍼灸を用いる場合でも、施術後に実際の疼痛誘発動作を再評価し、
「痛みが変わったのか」
「スナッピングが変わったのか」
「動作が変わったのか」
を分けて確認することが重要である。
まとめ
内側型スナッピングヒップは、単純に「腸腰筋が硬いから起こる現象」ではない。
腸腰筋腱は股関節運動に伴って位置を変え、腸恥隆起、大腿骨頭、関節包、腸骨筋など周囲構造との位置関係も変化する。
その過程で腱が急激に移動することが、特徴的なスナッピングの発生に関与すると考えられている。
そして最も重要なのは、
音が鳴ること自体を病気にしないこと。
評価すべきなのは、
「なぜ鳴るのか」だけではなく、
「そのスナッピングが本当に患者の痛みや機能障害と関係しているのか」
である。
スナッピングヒップを単なる「腸腰筋の硬さ」として見るのではなく、股関節前面における腱・筋・骨・関節の動的な現象として捉えることが、適切な評価と治療につながる。
参考文献
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- Walker P, Ellis E, Scofield J, et al. Snapping Hip Syndrome: A Comprehensive Update. Orthop Rev (Pavia). 2021.
- Yen YM, Lewis CL, Kim YJ. Understanding and Treating the Snapping Hip. Sports Med Arthrosc Rev. 2015.
- Winston P, Awan R, Cassidy JD, Bleakney RK. Clinical Examination and Ultrasound of Self-Reported Snapping Hip Syndrome in Elite Ballet Dancers. Am J Sports Med. 2007.
- Fabricant PD, Bedi A, De La Torre K, Kelly BT. Clinical Outcomes After Arthroscopic Psoas Lengthening: The Effect of Femoral Version. Arthroscopy. 2012.


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