第2部 鼠径部痛はなぜ鑑別が難しいのか?

疼痛

―「痛い場所=悪い組織」ではない前方股関節痛の臨床推論―

鼠径部痛の難しさは、同じ場所が痛くても原因となる組織がまったく違うことにある。

「鼠径部の奥が痛い」という訴えだけでも、

  • 腸腰筋腱・滑液包
  • 大腿直筋直頭腱
  • 股関節唇
  • FAI(大腿骨寛骨臼インピンジメント)
  • 内転筋群
  • 恥骨周囲
  • 鼠径管周囲
  • 大腿骨頸部

など、複数の組織・病態が候補となる。

さらに厄介なのは、原因が一つとは限らないことである。

第1部で解説したように、大腿直筋直頭腱、AIIS周囲脂肪組織、腸腰筋腱・滑液包などは解剖学的に近接している。

したがって鼠径部痛では、

「どのテストが陽性だったか?」ではなく、
「どの動作で、どこに、どのような痛みが再現されたか?」

を追っていく必要がある。


1.まず「鼠径部痛の地図」を持つ

鼠径部痛を最初から「腸腰筋」「股関節唇」など一つの組織に決めてしまうと、鑑別を誤りやすい。

アスリートの鼠径部痛について国際的な整理を行ったDoha agreementでは、臨床的な鼠径部痛を主に、

① Adductor-related groin pain

内転筋関連鼠径部痛

② Iliopsoas-related groin pain

腸腰筋関連鼠径部痛

③ Inguinal-related groin pain

鼠径部関連鼠径部痛

④ Pubic-related groin pain

恥骨関連鼠径部痛

⑤ Hip-related groin pain

股関節関連鼠径部痛

などに整理している。

さらに重要なのは、一人の患者に複数の病態が併存する可能性があるということである。

つまり鼠径部痛の評価は、

「犯人を一人だけ探す」

というより、

「どの病態がどの程度関与しているのかを整理する」

作業に近い。

※Doha分類は主としてアスリートの鼠径部痛を対象とした分類であり、高齢者を含むすべての鼠径部痛にそのまま適用するものではない。しかし、鑑別の地図として非常に有用である。


2.「押して痛い」だけでは犯人は決まらない

例えばAIIS付近に圧痛があれば、大腿直筋直頭腱を疑いたくなる。

しかし、その周辺には腱だけでなく脂肪組織や関節包など複数の組織が存在する。

同様に鼠径部深部に圧痛があるからといって、

「これは腸腰筋だ」

と断定することもできない。

圧痛は重要な情報だが、あくまで証拠の一つである。

そこで、

① どこを押すと痛いか
② 何を収縮させると痛いか
③ 何を伸張すると痛いか
④ どの動作でいつもの痛みが出るか

を組み合わせる。

一つの所見で犯人を決めるのではなく、複数の証拠を重ねて可能性を絞ることが重要である。


3.「股関節を曲げると痛い」から何が分かる?

例えば、

「階段を上ると鼠径部が痛い」

という患者がいたとする。

股関節屈曲を伴うため、まず腸腰筋を疑うかもしれない。

しかし、それだけでは早い。

股関節屈曲では腸腰筋や大腿直筋が活動する一方、深い屈曲では股関節内・前方にも機械的負荷が加わる。

そこで、同じ「曲げる」を分解する。

自分で曲げると痛いのか?

筋収縮を伴う。

抵抗を加えると痛みが増えるのか?

収縮性組織への負荷が増える。

他動的に深く曲げても痛いのか?

筋収縮以外の要因も考える必要がある。

深い屈曲+内転+内旋で痛いのか?

股関節関連病変を疑う材料となる。

このように、

「どの運動で痛いか」ではなく、「その運動の何が痛みを再現しているのか」

まで考えることで臨床推論が一段深くなる。


4.腸腰筋か、大腿直筋か?

この二つは鑑別に迷いやすい。

どちらも股関節屈曲に関与するため、股関節屈曲抵抗で疼痛が誘発されたからといって、どちらかを確定することはできない。

そこで、それぞれの解剖学的特徴を利用する。

大腿直筋は股関節と膝関節をまたぐ二関節筋である。

そのため、

股関節伸展+膝関節屈曲

によって大腿直筋に伸張負荷が加わる。

この肢位でAIIS周囲にいつもの疼痛が再現され、さらに局所圧痛や抵抗運動での疼痛が一致すれば、大腿直筋直頭腱の関与を疑う材料となる。

一方、腸腰筋関連鼠径部痛では、

  • 腸腰筋領域の圧痛
  • 抵抗下股関節屈曲での疼痛
  • 股関節屈筋群への伸張負荷での疼痛

などを組み合わせて評価する。

弾発感を伴う症例では、腸腰筋腱による内側型スナッピングヒップも考慮する。

ただし、ここで重要なのは、

これらの身体所見は「関与を疑うための材料」であって、単独で原因組織を確定する検査ではない

ということである。


5.Thomas testだけで腸腰筋を決めてはいけない

Thomas testで股関節伸展が制限されている。

そこで、

「腸腰筋が硬い」

「腸腰筋が悪い」

「だから腸腰筋が鼠径部痛の原因」

と考えてしまうことがある。

しかし、この3つは同じ意味ではない。

Thomas testは股関節屈曲拘縮や股関節屈筋群の柔軟性を評価する参考にはなるが、腸腰筋腱症や腸腰筋滑液包炎そのものを診断するテストではない。

したがって、

「硬い組織」と「痛みを出している組織」を分けて考える

必要がある。

腸腰筋の関与を疑うのであれば、Thomas testだけでなく、圧痛、抵抗下股関節屈曲、伸張時痛、実際の疼痛誘発動作などを組み合わせて評価する。


6.FADIR陽性=FAIではない

FADIR testは、

股関節屈曲+内転+内旋

によって症状を誘発する代表的な股関節テストである。

鼠径部に普段と同様の疼痛が再現されれば、FAI syndromeや関節唇病変など、股関節関連病変を疑う材料になる。

しかし、

FADIR陽性=FAI確定

ではない。

ここは非常に重要である。

FAI syndromeに関する国際コンセンサスであるWarwick Agreementでも、FAI syndromeは単なる骨形態の異常ではなく、

症状

臨床所見

画像所見

を組み合わせて診断することが示されている。

つまり、

画像でCam形態がある=FAI syndrome

でもなければ、

FADIRが陽性=FAI syndrome

でもない。

身体所見では「検査が陽性か」だけではなく、

患者が普段感じている鼠径部痛が本当に再現されたのか

を確認することが重要である。


7.画像に異常がある。それが本当に原因なのか?

鼠径部痛ではMRIやX線などの画像検査が非常に有用である。

しかし、

「画像異常=疼痛発生源」

とは限らない。

例えば股関節唇病変やFAIに関連する骨形態は、症状のない人でも認められることがある。

したがって画像を見るときも、

「異常があるか?」

だけではなく、

「その画像所見が患者の症状・身体所見と一致しているか?」

を考える必要がある。

これは鼠径部痛の臨床推論で非常に重要なポイントである。


8.内転筋・恥骨・鼠径部も忘れない

鼠径部痛を「股関節周囲筋」の問題だけで考えてはいけない。

内転筋関連鼠径部痛

内転筋部の圧痛と、抵抗下股関節内転による疼痛が重要な所見となる。

恥骨関連鼠径部痛

恥骨結合およびその周囲の局所圧痛を認める。

鼠径部関連鼠径部痛

鼠径管周囲に疼痛を認めるが、明らかな鼠径ヘルニアを触知しない場合もある。

腹筋への抵抗運動や咳・くしゃみ、腹圧上昇などによって症状が増悪する場合には、鼠径部関連病変も考慮する。

つまり、

「鼠径部が痛い=股関節」

という前提そのものを一度外す必要がある。


9.実は最も見逃したくない「骨」

筋、腱、関節唇の鑑別に夢中になるほど、絶対に忘れてはいけない病態がある。

大腿骨頸部疲労骨折・不全骨折である。

大腿骨頸部疲労骨折では、鼠径部痛や股関節痛として発症し、初期には症状が曖昧な場合もある。

特に、

  • 荷重時痛が強い
  • 徐々に疼痛が増悪している
  • ランニングなど反復荷重が多い
  • 跛行が出現している
  • 明確な筋・腱由来の所見と一致しない
  • 骨脆弱性が疑われる

といった場合には注意する。

さらに重要なのは、初期の単純X線で異常が明瞭でない場合があることである。

疑わしい症例ではMRIなど追加画像評価が必要となることがある。

この場合に必要なのは、

「どこに鍼をするか」ではない。

まず骨病変を疑い、適切な医療機関での評価につなげることである。


10.では、臨床ではどうやって絞る?

例えば、

「階段を上ると右の鼠径部が痛い」

という症例を考える。

STEP 1 まず危険な病態を除外する

外傷歴、荷重困難、夜間痛、発熱、急速な悪化などを確認する。

STEP 2 疼痛部位を確認する

AIIS周囲なのか、鼠径部深部なのか、内転筋付近なのか、恥骨周囲なのか。

STEP 3 実際の疼痛誘発動作を見る

階段、歩行、立ち上がりなどで「いつもの痛み」が再現されるか。

STEP 4 自動運動と他動運動を比較する

自分で動かしたときと、他動的に動かしたときで症状が変わるか。

STEP 5 抵抗を加える

股関節屈曲、膝伸展、股関節内転など、候補となる組織へ負荷を加える。

STEP 6 伸張負荷を加える

腸腰筋、大腿直筋、内転筋などへの伸張で症状が再現されるか。

STEP 7 股関節関連病変を評価する

FADIRなどを用い、普段の鼠径部痛が再現されるかを確認する。

STEP 8 仮説を立てる

ここまでの所見を統合して、

「腸腰筋関連の可能性が高い」
「大腿直筋直頭腱の関与が疑われる」
「股関節内病変も除外できない」

というように、確率として考える。


11.施術後の変化も「鑑別」の一部になる

臨床推論は、施術前に終わるものではない。

例えば腸腰筋の関与を疑って介入したのであれば、施術後に、

階段昇降
股関節屈曲
抵抗運動
疼痛強度

などを再評価する。

仮説が正しければ、症状に何らかの変化が生じる可能性がある。

変化が乏しければ、

「腸腰筋だけを見ていた仮説が間違っていたのではないか?」

と考え直す。

ただし、施術後に症状が改善したからといって、その組織が唯一の疼痛発生源だったと証明されたわけではない。

介入と再評価は診断の確定ではなく、臨床仮説を更新するための情報として利用する。


12.鍼灸師に必要なのは「どこに刺すか」より前の判断

鼠径部痛に対して、

「鼠径部が痛いから、この経穴」

という考え方だけでは不十分である。

同じ鼠径部痛でも、

筋なのか
腱なのか
滑液包なのか
股関節内なのか
恥骨・鼠径管周囲なのか
骨なのか
あるいは複数が関与しているのか

によって対応は変わる。

さらに、鼠径部には大腿神経や大腿動静脈など重要な解剖学的構造が存在する。

だからこそ、

「どこに刺すか」を考える前に、
「何が疑われ、そもそも刺鍼を行ってよい症例なのか」を判断する。

これが重要になる。

鼠径部痛の鑑別は、原因組織を100%当てるゲームではない。

危険な病態を見逃さず、複数の所見から可能性を絞り、介入後に再評価しながら仮説を更新していく。

その臨床推論こそが、鼠径部痛に対する評価と治療の土台となる。

参考文献

Weir A, Brukner P, Delahunt E, et al.
Doha agreement meeting on terminology and definitions in groin pain in athletes.
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→ 内転筋関連、腸腰筋関連、鼠径部関連、恥骨関連、股関節関連という分類の根拠。複数病態の併存も整理されています。 Griffin DR, Dickenson EJ, O’Donnell J, et al.
The Warwick Agreement on femoroacetabular impingement syndrome (FAI syndrome): an international consensus statement.
Br J Sports Med. 2016;50(19):1169-1176.
doi:10.1136/bjsports-2016-096743.
→ FAI syndromeを「症状+臨床所見+画像所見」で判断する根拠。FADIR陽性やCam形態だけでFAIと断定しない、という部分を支えます。 Reiman MP, Goode AP, Cook CE, Hölmich P, Thorborg K.
Diagnostic accuracy of clinical tests for the diagnosis of hip femoroacetabular impingement/labral tear: a systematic review with meta-analysis.
Br J Sports Med. 2015;49(12):811.
→ FADIRなどの身体検査単独ではFAI・関節唇病変を確定しにくい、という根拠として重要です。 Tijssen M, van Cingel R, Willemsen L, de Visser E.
Diagnostics of femoroacetabular impingement and labral pathology of the hip: a systematic review of the accuracy and validity of physical tests.
Arthroscopy. 2012;28(6):860-871.
→ FADIR、FABERなど股関節身体所見の診断精度と限界について。 Thorborg K, Reiman MP, Weir A, et al.
Clinical Examination, Diagnostic Imaging, and Testing of Athletes With Groin Pain: An Evidence-Based Approach to Effective Management.
J Orthop Sports Phys Ther. 2018;48(4):239-249.
→ 鼠径部痛を単一テストではなく、問診・身体所見・画像所見を統合して評価するという第2部全体の考え方を支える文献です。 Kaya M, Suzuki T, Emori M, Yamashita T.
Impact of extra-articular pathologies on groin pain: An arthroscopic evaluation.
PLoS One. 2018;13(1):e0191091.
→ 第1部から続く、大腿直筋直頭腱やAIIS周囲など関節外組織の関与についての文献。元原稿でも採用している研究です。 Robertson GAJ, Wood AM.
Femoral Neck Stress Fractures in Sport: A Current Concepts Review.
Sports Med Int Open. 2017;1(2):E58-E68.
→ 鼠径部痛で見逃してはいけない大腿骨頸部疲労骨折について。運動関連鼠径部痛では鑑別に入れる必要があります。

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