咀嚼筋(噛む筋肉)はなぜ脳梗塞や脳出血で麻痺しにくいのか?

リハビリ

三叉神経運動核の両側支配を解説

はじめに

脳卒中では、

  • 手足が動かない
  • 顔がゆがむ
  • 呂律が回らない

といった症状はよく見られます。 一方で、 「噛めなくなった」という症状は意外と少ないことに気付くかもしれません。 なぜ脳卒中では咀嚼筋は麻痺しにくいのでしょうか。 その理由は、三叉神経運動核への特殊な神経支配にあります。

はじめに

私たちは毎日当たり前のように食事をしています。

食べ物を噛むという動作は単純に見えますが、実際には複数の筋肉が協調して働くことで成り立っています。

この「噛む」動作を担う筋肉を咀嚼筋(そしゃくきん)と呼びます。

今回は、咀嚼筋の種類や働き、神経支配について解説します。


咀嚼筋とは?

咀嚼筋とは、下顎骨(下あご)を動かして咀嚼を行う筋肉の総称です。

咀嚼筋は左右合わせて4種類(計8筋)あり、いずれも第1咽頭弓(下顎弓)から発生します。


咀嚼筋は4種類

① 咬筋(こうきん)

最も力が強い咀嚼筋です。

頬骨から下顎骨へ付着し、

下顎を持ち上げて口を閉じる(閉口)働きをします。

硬いものを噛むときに最も活躍する筋肉です。


② 側頭筋(そくとうきん)

頭の側面を広く覆う扇状の筋肉です。

下顎を持ち上げるだけでなく、

後方へ引く(下顎の後退)

働きもあります。


③ 内側翼突筋(ないそくよくとつきん)

下顎の内側に位置します。

咬筋と協力して

  • 閉口
  • 咀嚼時の左右運動

を行います。


④ 外側翼突筋(がいそくよくとつきん)

唯一、

口を開ける方向に働く咀嚼筋です。

下顎頭や関節円板を前方へ引き出し、

  • 開口を補助
  • 前方移動
  • 左右運動

に重要な役割があります。

顎関節症とも深く関係する筋肉です。

外側翼突筋の「開口」表現について
下顎頭を前方に引き出す(下顎を前方移動させる)のは正しいですが、これは「開口」そのものというより「開口の補助(下顎頭の前方滑走)」です。純粋な開口動作(下顎を下げる)の主動筋は舌骨上筋群(顎二腹筋・オトガイ舌骨筋など)で、咀嚼筋には含まれません。


役割をまとめると

筋肉主な働き
咬筋閉口
側頭筋閉口・後退
内側翼突筋閉口・左右運動
外側翼突筋開口・前方移動・左右運動

神経支配

咀嚼筋はすべて

三叉神経(第Ⅴ脳神経)の下顎神経(V3)の運動枝

によって支配されています。

運動指令は

一次運動野 → 皮質延髄路 → 橋の三叉神経運動核 → 下顎神経(V3) → 咀嚼筋

という経路で伝わります。


表情筋との違い

咀嚼筋と表情筋は混同されることがありますが、全く異なる筋群です。

咀嚼筋表情筋
三叉神経(V3)支配顔面神経(VII)支配
下顎を動かす皮膚を動かす
骨から骨へ付着骨から皮膚へ付着
咀嚼が目的表情・閉眼・口唇運動が目的

例えば、

  • 食べ物を噛む → 咀嚼筋
  • 笑う
  • 目を閉じる
  • 口をすぼめる

これらはすべて表情筋が担当します。

運動の命令はどこから来るのか?

咀嚼筋も手足と同じように、

一次運動野 ⇒皮質延髄路(corticobulbar tract) ⇒橋にある三叉神経運動核 ⇒三叉神経 ⇒咀嚼筋

という経路で動きます。 ここまでは顔面神経とほぼ同じです。

顔面神経との決定的な違い

顔面神経では、

  • 上顔面:両側支配
  • 下顔面:主に対側支配

でした。 しかし、 三叉神経運動核は左右両方の大脳皮質から入力を受けます。 つまり、

左運動野 ⇒右三叉神経運動核 ⇒右運動野

というように、左右両方から命令が届いています。

ただし、この両側支配は左右完全に対等というわけではありません。教科書的には「両側性ではあるが、対側からの入力がやや優位(bilateral with a slight contralateral dominance)」とされています¹。顔面神経下顔面のような明確な対側優位とは程度が異なり、あくまで”両側から十分な入力が確保されている”という点が臨床的に重要な特徴です。

左側の脳梗塞が起こると?

例えば左大脳半球が脳梗塞になった場合、 左からの入力は失われます。 しかし、 右大脳からの入力は残っています。 そのため、 右側の三叉神経運動核は十分な入力を受け続けることができます。 結果として、 咀嚼筋はほぼ正常に動くことが多いのです。

進化的に考えても合理的

食べることは生命維持そのものです。 もし片側の脳障害だけで噛めなくなるなら、 生存率は大きく低下します。 そのため、

  • 咀嚼
  • 嚥下
  • 瞬き

など生命維持に重要な機能は、 左右どちらかが障害されても機能を維持できるよう、両側支配という冗長性を持っていると考えられています。

では全く麻痺しないのか?

いいえ。 咀嚼筋が麻痺することはあります。 例えば、

  • 橋梗塞で三叉神経運動核が障害された場合
  • 三叉神経(V3)の損傷
  • 腫瘍や外傷による三叉神経障害

では、 病変と同じ側の咀嚼筋が麻痺します(核性・核下性障害=下位運動ニューロン障害のため、両側支配による代償が効かない)。

症状としては、

  • 噛む力の低下
  • 開口時に下顎が病変側へ偏位(健側の外側翼突筋が相対的に優位に働くため)
  • 咬筋・側頭筋の萎縮

などがみられます。

臨床で知っておきたいポイント

脳卒中患者で、

  • 顔面神経麻痺はある
  • 咀嚼筋はしっかり動く

という組み合わせは珍しくありません。これは一側大脳半球病変(=上位運動ニューロン障害)に典型的なパターンです。

一方、咀嚼筋麻痺が目立つ場合は、大脳半球だけでなく橋や三叉神経自体の障害も考える必要があります。特に鑑別上有用なのは、延髄外側症候群(ワレンベルグ症候群)との対比です。ワレンベルグ症候群では嚥下障害・構音障害(球麻痺症状)が前景に立ちますが、病変が延髄にとどまる限り橋にある三叉神経運動核は保たれるため、咀嚼機能自体は温存されやすいという特徴があります。逆に咀嚼筋麻痺が前景に出ている場合は、病変がより吻側(橋上部)に及んでいる可能性を示唆します。

まとめ

脳卒中で咀嚼筋が麻痺しにくい理由は、 三叉神経運動核が左右両方の大脳皮質から入力を受ける「両側支配(軽度の対側優位を伴う)」を受けているためです。 そのため、片側の大脳半球が障害されても、反対側からの入力が残ることで咀嚼機能は保たれやすくなります。 一方で、橋の三叉神経運動核や三叉神経そのものが障害されると、代償の効かない下位運動ニューロン障害として、同側の咀嚼筋麻痺が生じます。


参考文献

  1. StatPearls – Neuroanatomy, Trigeminal Nucleus (NCBI Bookshelf, NBK539823)
  2. Clinical Methods: Cranial Nerve V, The Trigeminal Nerve (NCBI Bookshelf, NBK384)
  3. Trigeminal Motor Nucleus – ScienceDirect Topics
  4. Kenhub – Trigeminal Nerve (CN V): Anatomy, Function and Branches

コメント

タイトルとURLをコピーしました