― 運動の継続性(アドヒアランス)と特異性(SAID)から考える現代の運動療法 ―
「腹横筋を意識して締めましょう」「インナーマッスルを選択的に鍛えないと腰痛は改善しません」。
こうした説明は長年、リハビリテーションやトレーニングの現場で広く用いられてきました。しかし近年の研究では、この考え方は以前ほど強く支持されなくなっています。
一方で、「それなら運動は何でもよいのか」と言われると、それも正確ではありません。
現在のエビデンスを整理すると、
一般的な健康維持や慢性腰痛では『継続できる運動』が最も重要であり、一方で競技や特定機能の改善では『目的に合った運動』が重要であるという二段構えで理解するのが最も妥当です。
1. 「インナーだけ鍛えるべき」という考え方は相対化されている
2000年代前半には、腹横筋(Transversus Abdominis:TrA)や多裂筋(Multifidus)などの深層筋を選択的に賦活することが腰痛改善の鍵と考えられていました。
しかし、その後の研究によって、この考え方は見直されるようになります。
特にLederman(2010)は、コアスタビリティ概念の限界を包括的に論じ、「特定の深層筋だけを選択的に鍛える必要性」について疑問を提起しました。
その後のシステマティックレビューやメタアナリシスでも、
- Motor Control Exercise(運動制御トレーニング)
- 一般的な筋力トレーニング
- 有酸素運動
- ピラティス
- ヨガ
などを比較した結果、Motor Control Exerciseが他の運動療法より一貫して優れているというエビデンスは示されていません。
短期的にはわずかな優位性が報告される研究もありますが、長期的にはその差はほとんど消失し、臨床的に意味のある差とは言えないことが多くのレビューで示されています。
つまり、
「腹横筋だけを鍛えなければ改善しない」という強い主張は、現在のエビデンスでは支持されていません。
2. インナーは「狙わなくても」働いている
ここで誤解してはいけないのは、
「インナーが重要ではない」という意味ではないということです。
腹横筋や多裂筋は、
- 歩行
- スクワット
- デッドリフト
- 起立動作
- 荷物を持つ動作
など、日常生活や一般的な運動の中でも自然に活動しています。
つまり現在の考え方は、
「インナーを使わなくてよい」
ではなく、
「インナーだけを特別に狙い撃ちする必要性は限定的である」
というものです。
深層筋は全身運動の中で協調的に働く筋群であり、単独で切り離して考えるよりも、実際の動作の中で機能させることが重視されています。
3. 改善を左右する最大の要因は「継続」
慢性腰痛や健康増進において、実際の改善を最も左右する要素は、
- 適切な運動量
- 漸進的な負荷(Progressive Overload)
- 継続(アドヒアランス)
です。
さらに、
- 自己効力感
- 運動への楽しさ
- 生活環境
- 心理社会的要因
なども運動継続に大きく影響します。
そのため、
理論上は最適でも続けられないプログラムより、
多少効率が落ちても無理なく継続できる運動の方が、最終的な改善につながることは少なくありません。
近年では、
“The best exercise is the exercise the patient will actually do.”
(最良の運動とは、患者が実際に続けられる運動である)
という考え方が広く共有されています。
臨床的なポイント
健康維持や慢性疼痛を目的とする場合は、
- ウォーキング
- 筋力トレーニング
- ヨガ
- ピラティス
- 水中運動
など、本人が継続できる運動を選択することが最も重要です。
4. それでもSAID原則は失われていない
一方で、
「何でもよい」と結論づけることも誤りです。
なぜなら、運動生理学の基本原則である**SAID(Specific Adaptation to Imposed Demands)**は現在でも変わらず成立しているからです。
SAIDとは、
「身体は与えられた刺激に対して特異的に適応する」
という原則です。
例えば、
- 持久力を伸ばしたければ持久的運動
- 最大筋力を伸ばしたければ高負荷トレーニング
- ジャンプ力を高めたければ爆発的運動
- バランス能力を改善したければバランス課題
など、
目的と刺激を一致させる必要があります。
5. 特異的トレーニングが重要な場面
特異性が重要になる場面は現在でも数多く存在します。
① スポーツパフォーマンス
100m走を速くしたい選手が長距離走だけを続けても、最大スプリント能力は十分には向上しません。
競技能力には競技特異的なトレーニングが必要です。
② リハビリテーション初期
脳卒中や術後早期では、
失われた運動パターンを再獲得するために、
- 課題特異的練習
- 運動制御の再学習
- 反復練習
の重要性は現在も支持されています。
③ 特定組織を標的とする運動療法
疾患によっては、
特定の筋や組織を狙った介入が有効であることが確立しています。
代表例として、
- 骨盤底筋トレーニング(尿失禁)
- 腱症に対するローディングプログラム
- 前庭リハビリテーション
- 顎関節症に対する顎運動療法
などがあります。
これらは「何でもよい運動」では代替できません。
まとめ
現在のエビデンスは、
「インナーは重要だが、インナーだけを選択的に鍛える必要性は限定的である」
という方向へ収束しています。
慢性腰痛や健康維持では、運動様式そのものよりも、
- 継続できること
- 十分な運動量
- 適切な負荷
がアウトカムを左右する可能性が高いと考えられています。
一方で、競技力向上や神経学的リハビリテーション、特定疾患への介入では、現在もSAID原則に基づく特異的トレーニングが不可欠です。
つまり、
「インナーを狙い撃ちしなければ治らない」は誤りですが、「運動は何でも同じ」もまた誤りです。
運動療法で本当に重要なのは、目的に応じた運動を選び、それを患者が無理なく継続できる形で提供することです。
参考文献
- Lederman E. The myth of core stability. J Bodyw Mov Ther. 2010.
- Owen PJ, et al. Which specific modes of exercise training are most effective for treating low back pain? Br J Sports Med. 2020.
- Hayden JA, et al. Exercise therapy for chronic low back pain. Cochrane Database Syst Rev. 2021.
- Hodges PW, et al. Motor control and low back pain に関する一連の研究。
- Van Dillen LR, O’Sullivan PB, Maher CG らによる腰痛・運動療法研究。


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