鍼灸と予防医学シリーズ 第1回/全3回
―「倒れてから」ではなく「倒れる前」の鍼灸を考える―
はじめに
脳卒中や骨折で身体機能が低下してから治療やリハビリを始めるのではなく、「そもそも病気や障害を防ぐ」という考え方が、現代医療ではますます重要になっています。
日本は世界でも有数の超高齢社会を迎え、医療費や介護費の増大が大きな課題となっています。その中で注目されているのが「予防医学」です。
鍼灸はこれまで、痛みや不調に対する治療法として利用されることが多くありました。しかし近年では、健康維持や疾病予防の観点からも研究が進みつつあります。
本シリーズでは、2024〜2026年に発表された研究をもとに、鍼灸が予防医学にどのような役割を果たし得るのかを3回に分けて解説します。
第1回では、予防医学の基本的な考え方と、現在の鍼灸研究がどの位置にあるのかを整理します。
予防医学の3段階と鍼灸の位置づけ
予防医学は一般的に「一次予防」「二次予防」「三次予防」の3段階に分類されます。
| 段階 | 目的 | 鍼灸が期待される役割 |
|---|---|---|
| 一次予防 | 病気の発症予防・健康維持 | ストレス軽減、自律神経機能への作用、健康管理支援 |
| 二次予防 | 病気の早期発見・進行抑制 | 生活習慣病に対する補助的介入、症状管理 |
| 三次予防 | 障害の軽減・再発予防・社会参加促進 | 脳卒中後遺症、慢性疼痛、生活機能維持への支援 |
現在、鍼灸のエビデンスが比較的多く蓄積されているのは三次予防の領域です。
一方で、一次予防や二次予防についても、自律神経機能や生活習慣病リスク因子への影響を検討する研究が増えており、今後の発展が期待されています。
GBD 2021が示した鍼灸の潜在的ニーズ
2026年、YinらはGlobal Burden of Disease(GBD)2021データベースを用いて、鍼灸が応用されている疾患群の疾病負担を分析した研究を発表しました。
この研究によると、2021年時点で世界約65億人が、鍼灸介入の対象となりうる疾患カテゴリーに該当していました。
さらに、対象となった疾患による障害生存年数(YLDs)が約3億640万年に達していました。
障害生存年数(YLDs)とは、「病気や障害によって健康な生活が失われた年数」を表す指標です。
例えば、腰痛や脳卒中後遺症などによって日常生活に支障をきたした期間を世界中で合計した値と考えるとわかりやすいでしょう。
つまり、鍼灸が対象とすることの多い疾患群は、単に患者数が多いだけでなく、人々の生活の質(QOL)を長期間低下させる大きな原因となっているのです。
1990年と比較すると、これらの疾患を抱える人の数は約70%増加していました。高齢化や慢性疾患の増加に伴い、筋骨格系疾患や神経疾患など、鍼灸が対象とする疾患の負担は世界的に拡大していることが示されています。つまり、「亡くなる病気ではなくても、長く生活を苦しめる病気が増えている」
特に増加が顕著だったのは、
- 筋骨格系疾患
- 神経系疾患
- 消化器系疾患
- がん関連症状
などです。
また、将来予測モデルでは、高齢化の進展に伴い、これらの疾病負担は今後さらに増加すると推定されています。
この結果は、鍼灸が対象とする疾患群の疾病負担が極めて大きいことを示しています。現時点で鍼灸による予防効果や医療費削減効果が証明されたわけではありませんが、公衆衛生の観点から研究を進める価値が高い分野であることは間違いありません。
2024年版エビデンスマップが示した現実
「鍼灸の研究は増えている」
これは事実です。
しかし、「研究が増えた=効果が証明された」という意味ではありません。
KimとKangは2024年に、2014年版の鍼灸エビデンスマップを更新し、43の疾患・病態に関するシステマティックレビューを再評価しました。
その結果、
- システマティックレビューに含まれるRCT数は平均11件から19.5件へ増加
- 多くの分野で研究数は着実に増加
- 一方でGRADEによるエビデンス確信度は依然として低いものが多い
ことが明らかになりました。
その理由として、
- 小規模研究が多い
- 盲検化が困難
- 研究デザインのばらつきが大きい
- バイアスリスクが残る
などが挙げられています。
著者らは、
「研究数を増やすだけでは十分ではなく、質の高い大規模研究が必要である」
と結論づけています。
これは私たち臨床家にとっても重要なメッセージです。
論文の数だけを見るのではなく、
- 研究の質
- バイアスリスク
- 効果量
- 臨床的意義
を総合的に評価した上で、患者さんに説明する姿勢が求められます。
鍼灸はなぜ予防医学に応用できる可能性があるのか
現在の研究では、鍼灸が予防医学に貢献する可能性のある作用として、以下のような経路が注目されています。
比較的研究が蓄積している領域
- 自律神経機能への作用
- ストレス反応の軽減
- 慢性疼痛の調節
今後の発展が期待される研究領域
- 慢性炎症の制御
- 神経可塑性の促進
- 代謝機能への影響
- 腸内細菌叢への作用
- 腸―脳相関への影響
ただし、これらの作用の多くはまだ研究段階であり、予防効果が確立されたわけではありません。
今後は基礎研究と臨床研究の両面から、さらに検証が進むことが期待されています。
まとめ
予防医学は「病気になってから治す」のではなく、「病気になりにくい状態を維持する」ことを目指す考え方です。
鍼灸は現在、慢性疼痛や脳卒中後遺症など三次予防領域で一定のエビデンスを有しています。
一方で、自律神経機能や生活習慣病リスク因子への影響を通じて、一次予防・二次予防へ応用できる可能性も研究されています。
ただし現時点では、「期待できる領域」と「十分なエビデンスが確立している領域」を区別して理解することが重要です。
鍼灸を予防医学の視点から捉え直すことは、これからの超高齢社会における新たな役割を考える上で大きな意味を持つでしょう。
参考文献
- Yin Z, Chen Z, Liang F, Zhao L. Current trends and projections for potential acupuncture needs globally and in China: evidence from the Global Burden of Disease Study 2021. Chin Med. 2026;21:12.
- Kim TH, Kang JW. Evidence Map of Acupuncture: Where We Stand and Where We Should Go. Perspect Integr Med. 2024;3(2):106-113.
- Wang XS, et al. Annual review of acupuncture research in 2024. Tradit Med Res. 2025;10(11):70.


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